2020年04月23日
【聖堂朝礼】変わらないもの
今週も木曜日がやってきました。カレンダーでは当たり前のことですが、今日も皆さんを思い浮かべている朝を迎えられて、ありがたく思います。
外に出づらい毎日で、心も体もしんどいかもしれません。私はできるだけ暮らしのリズムを変えないようにしていますが、それでも体に変化が出てきました。よく手を洗うようになったためか、手の甲が乾いてしまって、しわくちゃです。マスクをするようになって、ほっぺたにはすり傷ができたみたいにかゆくなっています。今まで以上にコンピュータをいじっている時間が長くなって、夜になると目が痛くなります。体の変化は、年を取ったせいかもしれません。皆さんは大丈夫でしょうか。気をつけてくださいね。
そして、私の周りでは、今までにはなかった出来事がいくつもあります。まず、スマホのバッテリーが今までよりずっと早く減るようになってしまい、昼に必ず充電するようになりました。街を見ると、電車はかなり空いているように思います。コンビニに寄ってみると、狭いお店でも、レジを待っている人たちがちゃんと間をあけて待っています。レジにたどり着くと、今まではなかった透明のシートでお店の人と区切られています。小さなことかもしれませんが、今までとは様子がちがっています。
いいこともあります。晴れた日の空は、今までよりも青いように感じます。工場が止まっていて、煙が少なくなったのかもしれません。
さて、何も変わらない様子もあります。学校では、つつじの花もパンジーも、暖かくなってきれいに咲いています。桜の木は八重桜もソメイヨシノも、ピンクの花びらはすっかりなくなって、いつもの春のように緑の葉をしげらせています。木の枝に止まる鳥たちのさえずりも春の訪れを伝えています。人の作った物や仕組みは変わってしまいましたが、神様のおつくりになった大切なものは何も変わらずに私たちのそばにあります。
イエスさまがご復活された後、エマオという村に帰る二人の弟子たちが道を歩いているところに、イエスさまがそっと近づきました。「何を話しているのですか?」と聞かれた弟子たちは、「エルサレムで起こった出来事のことです。あなたは知らないのですか?」と答えて、イエスさまの十字架の出来事、そして復活なさったことを話しました。するとイエスさまはその二人に、神さまがご用意くださったことの一つひとつを順序良くていねいに話しました。二人は、お話ししている相手がイエスさまだと気づかないままお話を聞きました。わくわくした気持ちで、熱心に聞きました。
「もう日が暮れますから、一緒に宿に入りましょう」と言って、二人はイエスさまを誘いました。夕食のときにイエスさまはパンを取り、感謝をささげ、割って二人にわたしました。二人はそこで初めて「あっ、イエスさまだ!」と気づきましたが、その時イエスさまの姿は見えなくなりました。
「お話を聞いているとき、心がわくわくどきどきしたね」と語り合っていた二人は、うれしさと驚きで、仲間の弟子がいるエルサレムに大急ぎで戻り、この出来事を仲間にお話ししました。
お出かけできなくても、神さまがご用意くださったものに気づくことがあるでしょう。空の青さや花の美しさ、おうちの人のやさしさも、もちろん皆さん一人ひとりのいのちも、すべて神さまがご用意くださいました。静かにお祈りをするとき、神さまの温かさにいくつも気づくことができるでしょう。