主を待ち望む人々

 秋から冬へ。2年前の今頃は突然の大雪に驚かされましたが、今年はそれほどの強い冷え込みを感じないうちに、11月が終わります。カトリック教会の暦では、次の日曜日から待降節となり、新しい一年が始まります。

 これまでの一年を振り返ってみると、国内外での激しい豪雨や猛烈な台風、そして大地震などの災害の印象が強く残ります。また、悲しいことばかりでなく、野球や水泳、スケートや柔道など、スポーツ選手の世界的な活躍も多く伝えられた一年でした。

 我らがドミニッ子たちも、この秋には日頃の成果をそれぞれのステージで見せてくれました。2・3・5年生は学習発表会を通して、日々の学びの一端を披露してくれました。私学の体育発表会や男児ラグビーの試合もありましたが、観戦して感じたのは、刻々成長していく子どもたちの逞しさでした。前半より後半、第一試合よりも第二試合。疲れて鈍くなるのではなく、積んだ経験がすぐに反映されるしなやかな逞しさ。出来事に真正面から向き合う姿が輝いて見えました。

そんな「行事の秋」を経て、まもなく「待降節」に入ります。主のご降誕を静かな心で待つ季節、6年生は最後の学習発表会として、クリスマス会の聖劇の準備に取り掛かっています。

 救い主が誕生するときには、それを知らせる星が出現する、という伝承を知る東方の博士たちは、星空の観察を積み重ねた学びの中で、心待ちにしていたのでしょう。その星の出現に主のご降誕を確信し、大変な時間と労力をかけてエルサレムにやってきます。しかし宮殿に主の姿はありませんでした。ベツレヘムでお生まれになると預言者が語っている。そう律法学者から聞いて宮殿を出た博士たちの前に再び星が現れ、博士たちは導かれました。そこで飼い葉桶に寝かされている幼子の姿を見た博士たちは喜びに満たされ、ひれ伏して拝みます。

 救い主のご降誕を心から待ち望んでいた博士たちには、伝承と学びの中にご降誕の確信はあったのでしょうが、出会える確証までは持てなかったことでしょう。それでも自ら犠牲を払い、財産をかけて遥かなる旅路を経て、主に出会うことができました。

 一方、神に祈ることを忘れずに暮らしていた貧しい羊飼いたちには、独り子の誕生が天使によって告げられました。そのお告げを素直に、謙虚に受け容れて出向き、幼子の姿の主に出会うことができました。どちらも、心から主を待ち望む人々のところに神の目が注がれ、その導きがありました。

 街ではイルミネーションが輝き、クリスマスを迎える喜びを表していますが、博士たちや羊飼いたちの苦労や貧しさをそこに表すことはできません。主を心から待ち望む祈りを、子どもたちとともに重ねていきたいものです。

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