私たちも語り部に

春らしい暖かさを感じられる日もあれば厳しく冷え込む日もあり、体調管理の難しい日々が続いています。この1年間、子どもたちの成長に寄り添ってくださり、ありがとうございました。

今、2年生は「ドミニコ郵便局」を開設しています。子どもたちからの手紙には「校長先生、体育館に遊びに来て」という微笑ましいものから「この学校に通ってよかった」と感慨深く伝えるものまで、毎日を大切に過ごしている様子が書かれていて、その成長ぶりに驚きつつ、いつも心が温まります。

さて、東日本大震災から5年の節目を迎えます。被災した各地の復旧は進んでいますが、暮らしの復興、心の復興にはまだまだ時間が必要だと感じます。完成した防潮堤を見て安心する方もあれば、陸から海が見えなくなった不安を語る方もあります。放射線量の高かった地域から移住された方は、戻れないもどかしさだけでなく、移住先で冷たくされて悲しい思いをする例もあると耳にします。

児童会では今年も聖堂朝礼の機会に「祈りの集い」を持ち、各学年の共同祈願とともに児童会がメッセージを発信することになりました。今の6年生は、1年生の時に「あの日」を体験しています。そのときの思いを下級生に伝えようというこの企画は、今年だからこそできる、意義深いものです。

「16歳の語り部」(ポプラ社)を読みました。宮城県の三人の高校生が、小学5年時に経験した大震災を振り返り、当時の思いや教訓を率直に語ったものです。避難生活は報道されているような美談ばかりではなかったこと、大人の苦労を目の当たりにして自分の気持ちを親にも伝えられなかったこと、そんなときに寄り添ってくれた友達という存在の大きさや強さなどを、被災者から「未災者」に語りかけるように、気負わず素直に描いています。どこに住んでいても、誰もがいつかは被災者になる可能性がある。被災者としての経験を未災者に語り継ぐことが、今の自分の使命だと感じる。そんな若者の気づきと強い意志を頼もしく感じました。

 子どもは大人を見ています。そして大人を思いやる心があります。私たち大人はそれを受け止められているのか、この著作から振り返る機会を得ました。

 四旬節の今、学校ではイエスの40日間の祈りと断食を心に留め、神さまに心を向け直す日々を過ごしています。イエスの十字架上の死とご復活という「経験」を経た弟子たちは、師と過ごした日々を振り返って「互いに愛し合いなさい」というイエスの掟を新たに受け止め直し、主に愛された経験をもとに、聖霊の助けを受けながら語り継ぎ、愛を伝えに行きました。

子どもたちが「愛する人」として未来に向けて歩むとき、その糧を語り継ぐ「語り部」としての使命が、どうやら私たちにはあるようです。

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