「待つことができる」石川一郎

[学校の役割・保護者の役割  協力し合って人間的成長を見守ります]
先週行われた公開授業とミニ説明会。
入試が終わった時期ですが、今年は例年より多くの方が来校されました。
今年度から始まる「聖ドミニコ2019」に関心が高いのだと思いました。
とてもありがたいことです。
さて、今日のお題は、広報担当であり中学の担任、そしてママという三種の神器(笑)、いや三種の役割をこなすS先生の言葉です。
S先生は、保護者の方にママさんとしての共感を得ながら、ママとしてだとなかなか難しく、先生としてならできるということの話をしてくれました。
その中で印象的な言葉が
「待つことが出来る」
毎日接している我が子。当たり前の事ですが、家での家族はお互い空気のようなもの。当然、子どもも「素」の状態です。日頃接している親からすれば、どうしても、子どものダメな部分に目がいきます。余裕がある時なら、今日は怒るのはやめておこう、と我慢しているものの、それはなかなか難しいですよね(笑)。
「どうしてあなたはいつも…」
あ、ついに言ってしましたね(笑)。
子どもからすると、言われるのは嫌、しかし、放っておかれるのも気になる、でもなかなか直せない。
ま、どこでもそんな感じですよね。
さてさて、学校の先生だとどうでしょうか?全く頭にこないわけではないですが、ママに比べて全然「待つ」ことは出来ます。
他人だからこそ、客観的に見ることができます。
中学から高校
思春期真っ只中の子どもたち。
その時代に求められるのは
言われたことをしっかりやることから
自分の人生をジブンゴトとしてとらえられるようになることです。
だから、反抗期は絶対必要です。
反抗期に正面から向き合うママ。
反抗期を「いよいよきた」と感じる先生。
自立自律の人生に向けて
適度な距離感で適切なタイミングで声をかける。
いつかは、反抗期がおさまり、一人の女性として旅立っていく。
先生を長くやっていればいるほど、良い意味で先が見えているものです。
「何かを気づく」
そんな瞬間が一人ひとりにはあるものです。
それを楽しみに待っています。
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