2018年07月04日
「英語のはなし」石川一郎
今回も引き続き、英語の話についてお付き合いください。
先日、聖ドミニコ学園の英語の先生たちと意見交換をしました。
テーマとして、現状の大学入試でどんな力が必要なのか。
それもかなり難関の大学の場合に。
「最終的には、単なる英語の力だけの問題ではないんだよね」
「例えば、『安楽死』についての長文が問題だとする」
「そんな時、英語を話す人が『安楽死』にどんな定義をしているのか」
「それがわからなくて、日本のあいまいな『安楽死』の概念では・・・」
大学入試の長文の問題は日本語に訳せたとしても理解が難しい。
要は世界観を共有していなければ立ち向かえないのです。
先生方と話をさせていただく中で改めて気が付くことは
日本語は物事の定義を一般的に「あいまい」にしていることが多く
英語は逆に定義を「明確に」していることが多い。
何となく日本語で「安楽死」はこんな感じ、ではダメなんですね。
物事をあまりはっきりさせないで、お互いに空気を読みながら解決するのと
まず、定義や論理をはっきりさせて白黒の立場も表明し折り合いをつける。
そんな文化的差異が英語と日本語にはある。
「英語を学ぶ」ということは、「日本にない」ことを学ぶ。
それが楽しいと感じれば、英語4技能などおそれることはありません。
グローバルスタンダードコースの英語もこんなレベルまで目指します。
英語の授業だけではなく、他の授業でも異文化の受容を意識していきたい。
世界の人との「対話」を重視する聖ドミニコ学園の教育では
今一度、教職員でこの点を共有したいと先生たちと大いに話が盛り上がりました。
8日の説明会でもこの話の詳細が聞けますよ!
皆さまのご来校を楽しみにしております。