2018年06月22日
「英語教育」(続編)石川一郎
「長文読解」と「訳読対策」
これこそが昭和英語教育のスタンダード。
この点を考えてみます。
「長文」を読むことは、今だって大事なことです。
ネット社会の今日。
英語のサイトを斜め読みすることが出来れば多くの情報を得ることが出来ます。
もちろん日本語に訳されてない一次資料にあたることも出来ます。
グーグル先生もまだ長い文章だとニュアンス含めてまでは未完成のような感じです。
(ここは最新情報を持ってないのですみません)
では何が問題だったか。
それは、日本語の世界観のまま
英語を理解したつもりになることです。
英語で書いてあることは英語の世界観で書いてあるのです。
内容把握という問題形式ですが、実際は文字をなぞっているようなものです。
英語の文章は日本人とは文化も思考方法も違う人たちが書いている文章です。
この点を頭において英語を理解することが求められていると思います。
精読も悪いことではありません。
しかし実際には機械的に「解釈したつもり」になるにすぎません。
訳読することはできても、二次的に、例えばそこから対話につなげるようなことはできません。
英語に当たる際には、やはり異なる文化の人の言語である、という概念をもって文章にあたりたいものです。