2018年06月18日
「英語教育」石川一郎
皆さま、こんにちは!
今回は英語教育について考えます。
実は、私はかなり古い帰国生です。
七歳でニューヨークに行って現地校に通いながら週末は補習校に行きました。
現地校ではいきなり英語環境に放り込まれました。
まったく言葉はわかりませんが、学校の1日の生活の中で、場面場面ごとに英語を覚えていきました。
朝の挨拶、休み時間の会話、ランチの会話などなどです。
言回しを聞きながら、場面ごとにその言回しを真似て徐々に英語を覚えていったのは記憶にあります。
小学校の低学年でしたから、耳に英語は入りやすく、発音もあまり意識しなくても大丈夫だった気がします。
定型の言葉をつかみながら、だんだん自分流に話すようになりました。
通じた!と思う時もあれば、あれ?と間違って通じない時もありました。
日常会話だけでは語彙が限定されるのでセサミストリートもよく見ました。
テレビはけっこう語学教育的に許可されてよく見てました。
そんな時を過ぎて半年くらいで日常会話には困らない感じになり、一年半もすると普通に授業を理解できるようになりました。
長々と自分の経験を書いてきましたが、語学教育の基本はここにあるのではないかと感じます。
「定型の文章」「単語」「自分の言葉」この三つが語学の基本と感じます。
三本の矢であり、三本が重なるか否かでまったく威力が異なります。
今までの日本の英語教育は「単語」「定型の文章」は徹底されてきたと感じます。
ただ、「自分の言葉」は完全に後回し、というか、それは英語教育や大学受験ではカバーされないものとされてきたのではないかと。
「自分の言葉」は、いわゆる4技能の「書く、話す」のoutputです。
ここが決定的に弱いのです。
さて、本校ではどう変わっていくのか、今までは面倒見よく、「単語」と「定型の文章」の修得に力を入れてきました。
その部分を思い切って時間を縮小して「自分の言葉」でoutputする場面を入れていこうと思います。
その縮小の部分は、家庭学習で補ってもらいます。
授業で英語を使う楽しみを体感してもらいたい。
英語は楽しく学んで欲しいものです。
それではまた