「よく祈る人は、よく生活できる」と言われているが、リマの聖女ローザも、よく祈る人であった。
ローザは1586年に南米ペルーのリマに生まれた。当時、ペルーはスペインの植民地であったので、首都リマにはカトリックの信者が大勢いた。
両親は早く読み書きを覚えるようにしつけた。そして5才になるとひとりで祈ることもできるようになった。みんなは、ローザが賢い子だから早く覚えたのだと思っていたが、ローザ本人はイエズスさまの助けによるものだと思っていた。また、この世の楽しみに心を奪われないように、髪を切り、神のお望みになることなら何でもしますと約束した。大きなことはできなくても、小さいことなら、立派にできるというので、指をけがして痛い時でも、じっとがまんして、神様にささげる子どもであった。
リマの町には、インディオやニグロがたくさんいて、みな貧しい生活をしていた。この人たちを何とかしてあげられないか、とローザは真剣に考えた。ある時は行き倒れになったインディオの老婆を家に引き取ったこともあった。間もなく、父の許しを得て、家の一室を開放して貧しい病人の世話をやいたりした。また、家の庭で花を育て、それを市場に売りに出したりした。11人の家族にとって売り上げもたしにはなったが、母は働くことの尊さを覚えさせようと、花売りもすすめた。畑の草取りを母といっしょにする時も、母は1本1本ていねいに、それを抜きながら、気長にものに取り組む心がけと、汗の貴さを教えた。夜になると、そろって夕の祈りをする家族であった。
ローザは、12才になると、家から少し離れた所に山小屋のような離れを作って祈り、自然の中で神をたたえていた。ローザはこの小屋の中で縫い物や祈りをしていただけでなく、大きな重い十字架をかついで庭を歩き回り道行きの信心をしていた。
ローザが年頃になると、母はしきりに良縁を得て結婚するようにすすめたが、小さい時から決めていた彼女の決意をひるがえすことはできなかった。「私は決して苦しみから逃げるのではありません。修道院に行かなくても、神さまを喜ばすことはたくさんあります。」それを聞いた母は多少心をやわらげたが、ローザの望みは、結婚して家庭をもつことではなかった。
ローザはサン・ドミンゴ教会で、「修道院の中ではなく、むしろ世間にとどまって、人びとの間で神に仕えなさい。」という声を聞いた。
望みどおりに在俗の修道女(ドミニコ会の信徒会員)となってからも、常とは変わらない生活を送っていたが、内心ひそかに苦業をかさねて心をみがき、次第に、キリストに近づいていた。
娘ざかりのローザに、他の娘とはちがった生活や健康を心配した母は、ある親戚の家に移ることをすすめた。ローザは「はい、まいりましょう。でも私は別に病気ではありません。神さまは、あと2年ばかり生命をかしてくださるでしょう。」と言った。
新しい家に移ってからも、ローザは司祭の服を縫ったり、教会の祭壇布を作ったりしながら、在俗修道女として人びとの尊敬を集めていた。その2年後の8月24日、バルトロメオの祝日に、その清らかな魂は、31才の若さで神さまのもとへ旅立って行った。