聖人列伝 -ドミニコ会の聖人・福者のご紹介-

聖マルガリタ(ハンガリーの)

 聖女マルガリタは1242年、ハンガリー王ベラ四世とギリシャ人のマリア・ラスカリス王妃との間に生まれました。誕生に先立ち、両親は、侵略者タタール人に対して勝利を得たら娘を神に捧げると約束していました。
 マルガリタが3歳半になったとき、両親は彼女をヴェスツプレムの聖カタリナ修道院に連れて行きました。その修道院の修道女となり、神に仕えるためでした。6歳位になったある日、彼女は十字架を見せられて、これは何かと尋ねました。修道女たちは、「わが子よ、キリストは私たちのためにこのようにして死なれ、ご自分の血を流されたのですよ」と答えました。すると少女は泣き出しました。
 7歳になったとき、彼女はスカプラリオ(正式の修道服)を受けたいと願い出ました。そこで修道女たちは非公開で彼女を祭壇の前に連れて行き、ヴェニ クレアトル(聖霊の降臨を求める賛歌)を歌い、彼女にスカプラリオを着せました。9歳のある日、彼女は修道院から抜け出して教会に入り、隠れて祈っていました。修練長が彼女を見つけて呼ぶと、彼女は「もう少しだけここにいさせてください」と願いました。10歳位になったとき、彼女は聖カタリナ修道院を去り、彼女のために父王がダニューブ河の島に建てた栄光の聖母に捧げられた修道院に移りました。ドミニコ会五代目総長フンベルトゥス・デ・ロマヌスの手の中で誓願を立てたのは12歳のときでした。
 その直後、父王は、ボヘミアとの和平締結のため、彼女をボヘミア王に嫁がせようとしました。この婚姻を成立させるためにハンガリー王は教皇に特使を派遣して誓願の免除を得ました。王妃からの命令で、マルガリタの聴罪司祭であったドミニコ会兄弟マルセルはこのことについて注意深く少女の意向を質しました。彼女は、主イエス・キリストとの約束を破って両親の望みに応じるよりは破門される方がましであると敢然と答えました。この時期に、彼女はまだ処女としての聖別式を受けていませんでしたが、またの煩わしさを避けるためにこの許可を得てくれるようにと聴罪司祭に願い、エツテルゴムの大司教によって聖別されました。このような聖別はドミニコ会隠棲修道女会の記録の中で唯一の例です。
 彼女は、他の修道女たちが眠った後も、自分の寝床のそばで祈り続けました。時々彼女は小室が続く廊下をそっと歩きながら、誰かが何かを必要としていないか聞き耳を立てました。誰かの嘆きの声を聞くと、彼女はその姉妹のもとへ行き、望みを聞きました。それが飲み物か何かであったらすぐに食料貯蔵室や台所へ行き、その姉妹が願っているものを持ってきました。彼女はこれを、他の誰も起こさないように静かに行いました。
彼女の父母が何でも豊かに備えてくれたこの修道院の中で、彼女は衣服でも、食物でも、他の何でも、他の姉妹以上に受けたり、自分のために取っておいたりしようとはしませんでした。むしろ他の姉妹よりずっと少ないもので満足しました。
 受難の主日から聖木曜日まで、彼女はキリストの受難を読んでもらい、それを立ったまま、涙し、大きな信心をもって聞きました。聖木曜日には、彼女は全姉妹の足を洗い、更に、住み込みでいろいろな仕事をしている女性たちの足も洗いました。聖金曜日には一切何も食べませんでした。
 姉妹たちが聖体拝領するとき、マルガリタは最初から最後まで聖体の下の布を持っていました。彼女はそれを大きな信心をもってしていました。ある人が、「なぜそのように布を持っているのですか?」と尋ねると、彼女は「キリストの体を見ることができるように」と答えました。
 1270年、28歳で帰天。彼女の死後、その顔は非常に美しく輝いていたので、エツテルゴムのフィリップ司教は、「この王女の死を悲しんではなりません。彼女の復活はもう始まったように見えます」と言いました。1943年、教皇ピオ十二世によって列聖されました。

文/理事長 武田教子