聖人列伝 -ドミニコ会の聖人・福者のご紹介-

ドミニコ会司祭 福者ドミンゴ・イバニェス・デ・エルキシア

ドミニコ会司祭 福者ドミンゴ・イバニェス・デ・エルキシア

 NHKの大河ドラマ「葵」徳川三代の放映の2000年は、奇しくも同時代の禁教下で布教活動を続け殉教したスペイン人、エルキシア神父の列福20年にあたる。列福の制度は地上に生きる信者に正しい信仰を示すために設けられ、列福されるものの信仰を示すために設けられ、列福される者の信仰、道徳の調和や聖性、徳行、殉教、奇蹟などが公の崇敬に価するかどうかを教会が判定するものである。370年も前に殉教した人を今ごろ列福するのはなぜだろうか。現代に生きる私たちにどんなメッセージがあるのだろうか、そんな素朴な疑問を抱きながら、神父の生涯に近づいた。
 エルキシア神父はスペインのピレネー山脈南麓の小村レヒール村で1589年2月に誕生。1604年15歳の時ドミニコ会スペイン管区に入会。東洋宣教を志し1660年21歳でフィリピンのロザリオ管区に移籍、メキシコに渡る。1611年マニラ到着、1612年23歳で司祭叙階。ピナラトンカン(現サン・カルロス市)の聖ドミニコ修道院に派遣され、1616年マニラの本部修道院、1619年マニラ市ビノンド地区聖ガブリエル修道院配属、1621年本部勤務、聴罪司試験官、聖トマス学院神学部教授、1923年34歳で日本に派遣される。6月19日薩摩に漂着し、苦心の末10月14日長崎に入港する。同年徳川家光が三代将軍の座に着いている。エルキシア神父の日本派遣は、長崎の牢からマニラの管区長宛にヴァズケズ神父が書いた手紙によるものだった。手紙は「多数の信徒のため、司牧者の必要性は大きかったが、会の修道士や司祭が殉教して、今や信徒達は生き残る私達二名の司祭に望みをかけています。私も捕らえられ、残るはただ一人、ドミンゴ・カステレ神父となった今、聖主の御業宣教を助ける仲間を私共にお送りくださるよう、管区の子等の頭である貴方に御願い申し上げます。4月15日」とあった。

 これを受けて管区長は、エルキシア神父を含む、最も優秀な4人の派遣を決意し、5月20日日本に向けて、マニラを出帆した。船中の事故で同行の管区長代理リヴェラ神父死亡。迫害の嵐の只中に入国し、日本語の勉強、毎夜宿を変えての逃避行。上長には、これ程満足して働いたことはない事、体の丈夫な、神の御摂理に信頼することを知っている者を送ってくれるよう書いている。日中は動かず、夜他の宿に移るとき、道々病人を訪ね、着いた家で夜集まってきた人々に、告白、聖体の秘跡を授け、絶えず移動。移動は雪が降っても、みぞれでも必ず夜。それでも四 旬節中は、断食をした。1624年にはヴァズケズ神父殉教、1628年カステレ神父殉教。長崎奉行に竹中妥女が着任し、雲仙で硫黄の熱湯責めで棄教者続出。1000家族以上が山や他国へ逃げ長崎教会は全滅。そんな迫害のなかをエルキシア神父は生きのび、信徒達を慰め励まし続けた。ある時は大きな危険を犯し、牢の役人を買収し、自分の死の準備の告白のため、牢内の神父に告白したこともあった。また火刑に処せられる5人の修道者の最後を見届けるために危険を犯したこともあった。神父の危険な中での信徒に対する仕事ぶりや献身的な活動は、仲間の司祭、信徒たちからばかりでなく、長崎入港のポルトガル人達からも称賛され、マカオの司教にも、彼の信仰と徳と大胆さ、賢明さが伝えられ、ローマ聖省も、1633年彼を日本国内の司教候補に選んだ。しかし、正にこの年、エルキシア神父は、10年に及ぶ日本での潜伏を終え、殉教者の群れに連なったのである。1933年3月、長崎奉行竹中妥女失脚の後、今村、曽我の二奉行が着任し、前任者竹中に勝る成果を挙げるため、積極的な組織作りを始めた。二奉行は、エルキシア神父が日本の切支丹の中心的な人物であることをつきとめ、彼の人相書き、背丈などを書き町や村々に貼り出し、捕らえた信者の拷問を強めた。間もなくエルキシア神父を知っている信者が拷問にかかり、神父の居場所を白状したため、捕まってしまった。1933年7月4日のことである。8月11日、吟味が始まり、末信者にも人徳と教養と温厚さで知られていた重要人物だったので、棄教を説得され、多額の年棒や将軍の温情が交換条件として出された。エルキシア神父がこのような誘惑に、微動だにするはずなく、竹中妥女の始めた最も恐ろしい穴吊りの拷問の刑に処せられた。8月13日のことであった。翌8 月14日、聖母被昇天の前夜祭に、30時間の苦しみから解放されて、主のみもとに旅立ったのである。

 これは、三代将軍徳川家光の治世中にあった何万何千という殉教の中の一つの話である。Eメールも電話もFAXもない時代に、4月15日主の御業宣教を助ける仲間を送って欲しいという管区長への手紙に、5月20日には最も優秀な4人をマニラから出帆させるという速さ。殺される可能性100%、何年生きのびられるかという状況を分かりながら、人を送る上長と、送られることを快諾する会員。これは、正に神の業。福音の生きた証。エルキシア神父の上長への手紙にある、神の御摂理に信頼することを知ってる者のみにできること。エルキシア神父の殉教から370年後の日本、外観は、別世界である。迫害も拷問もなく。信教の自由は憲法で保障されている。しかし、この現代社会の中で福音に生きるのは易しくない。ドミニコ学園に奉職する者としても、エルキシア神父の殉教の証を誇りに思う。今自分が直面してい る困難に、どう向き合ったらいいか、エルキシア神父は私達に「あなたは、何のために生きていますか」と問うているように思う。

(以上は、ほぼ全面的に、ドミニコ会司祭、佐々木利昭訳著
「長崎16殉教者 神のしもべ達の横顔」による)

文/小学校教諭 鈴鹿恵美子